おやすみ警報収録作『夢のとなり』についての自己PR文章

 

私が主催するふかふか団地という文芸サークル、5冊目の同人誌『おやすみ警報』の通販を昨日からBOOTHにて開始しました。

 

fukafukadanchi.booth.pm

 

私は、愛宕恵という名前で『夢のとなり』という小説を書きました。このペンネームをわざわざ言うやつすごいダサいので、ケイスケへの統一を考えている。

 

ふかふか団地ブログと、どちらに掲載するか悩みましたが、極めて個人的な記事になりそうなので、自由に書くためにコチラに書くことにしました。

 

スフィアを知っていることを前提とした文章を書きすぎていることに気付いたので、文芸回りで読んで下さった方はごめんなさい。

 

内容について

西暦2057年の老人ホーム・ラビットハウスでは、声優ファンの入居者たちが身を寄せ合い、己の青春を懐かしみながら、自分たちの『推し声優』のライブ映像を鑑賞して余生を過ごしていた。

4人組声優ユニットコーリンベリーのメンバーである高屋敷沙良さんの『トップオタク』だと言い張る丸岡さんも、自身のプライドの高さから、周囲に馴染めない中でも、平和な日々を過ごしていたが、ある日、高屋敷沙良さんが、ラビットハウスにイベント訪問することを告げられる。

すると丸岡さんは「俺はイベントには行かないことに決めたよ」と告げて、部屋に籠りがちになり……。

 

ばれるほどのネタバレはありませんが、何を込めた物語なのかという話はしておきたいと思います。

 

大学時代からの友人で、田村ゆかりさんと水樹奈々さんが好きなイケメンがいます。私はスフィアと豊崎愛生さんが好きで、それぞれに観てきた時間や場所は違うのだけれど、それぞれの好きな人のステージに、ある種では人生を懸けて参加しているという点において、私たちは同じ場所を見ていました。

 

お互いが就職した今でも、仕事の合間を縫って休みをとってくれて、お互いの好きな人たちのライブBDを持ち寄り、そのステージの背景や個人的な思い出を話しながら、朝から晩まで酒を飲みながらライブ鑑賞会を行う仲です。(また近いうちにやろうね)

 

スフィアが充電期間を迎えることもあって、この好きの形が、そのまま行き着く場所というのはどこなんだろうと考えた時に、思いついたのが「声優ファンの高齢者が集う未来の老人ホーム」という設定でした。SF考証としてはそんなに間違っていないと思っている。(本当に近い将来こういう経営体系が生まれると思っている)(老人ホームというよりかは、パブとかスナックに近いかもしれない)

 

 

声優ファンの物語を書くときは、概ね私自身の話なのですが、今回はさらに悪辣で、高屋敷さんを除く登場人物全部自分と言っても過言ではない、まさに私自身の話です。

 

「『本当の好き』って何なんだろう」というのは、それこそ豊崎愛生さんを好きになった頃からずっと考えていることでした。結局のところ、画一的な答えがある訳ではなく、それに自分が納得できるかどうかという部分に終始するようにも思います。

 

それでも、誰かがその感情を「本物」だと思うことがあるとすれば、それはその人が歩んできた人生であり、選んできた道をみて決めるものなのだと思います。作中にも書きましたが、誰かの『ファン』でずーっと在り続けるというのは、祝福とも呪いとも捉えられるのだと思います。

 

なら、やぱりどんなにみっともなくても、例え届かなかったとしても、私はそれを誰より自分自身に証明し続けられる人生でありたいという想いです。

 

 

タイトルについて

そんな想いをこめて、高垣彩陽さんの1stオリジナルアルバム『relation』に収録されている同名曲から頂きました。

 

高垣彩陽さん、ないし、スフィアのファンの方には説明不要の名曲です。 

夢のとなり

夢のとなり

 

割と早い段階(具体的には今年の3月上旬くらい)で、次はまた声優ファンについての物語にして、作中におけるヒロイン(というよりかはアイドル)をあやひーにしようと決めていました。

 

ただ、当初予定していたタイトルは『私の時計』でした。私が一番好きな高垣彩陽さんの楽曲で、このタイトルに嵌まるような物語を書くつもりでもいました。

 

決定したのは「LAWSON presents Sphere live tour 2017 "We are SPHERE!!!!"」の富山公演でのこと。ご存知の通り、あやひーはここでこのツアー初めての『夢のとなり』を披露しました。

 

高垣さんに強い縁を持つ富山の地で、ここで歌うのが夢だったと語りながら、あんなにも凄絶で、あんなにも美しく、即興のアレンジまで入れながら、持てるポテンシャルの全てを出し尽くして、それでも「夢に届くまでどれくらいですか?」「思い描くよ、”僕は夢のとなり”」と歌い上げる姿。

 

その姿を目の当たりにした時「これは、生半可なものを書いてしまっては失礼だ」と音楽でぶん殴られたような感覚がありました。その感情に対して誓いを立てる意味も込めて、当初予定していたタイトルを変更して『夢のとなり』としました。

 

あのー、なんというか、ただ『夢のとなり』はあまりにも大切な曲で、高垣彩陽さんのソロ活動においても常に一番大切なところに置かれてきた曲だったので、すごい勝手に胃がねじ切れそうになっていました……。

 

同人活動に関しては当人に届くことが目標ではないけれど、ふかふか団地の活動を続ける中で、スフィアやスフィアの4人が好きな友人がたくさん増えて、ありがたいことに、その人たちがこれまでもふかふか団地の小説を買ったり、読んだりしてくれていたので、このタイトルを豊崎愛生さんを観てきた私が許可なく使っていいのか……という葛藤がありました。

 

一番大きかった感情は「このタイトルに相応しいだけのものが、お前に書けているのか」という気持ちで、それは正直に言うと、最後の最後まで解消されないまま世に送り出してしまったように思います。そのことについてが、今回で一番悔しくて仕方のなかった部分です。

 

ただ、向き合わなくてはダメな部分だったと思うし、ぶつけたことに対して後悔はしていません。

 

今後について

2年前に寿美菜子さんをモデルに物語を一つ書かせてもらって、今回高垣彩陽さんをモデルに物語を書かせてもらったので、充電期間が明ける前、2回の文学フリマで4人分の物語を書こうと思いました。

 

自己満足ではありますが、充電期間と向き合って、修行を経て強くなった状態で私も戻ってきたいので、それには絶好の機会なのかなと思った次第です。

 

豊崎愛生さんについてのクリティカルな物語を書き終えたら、私が物語を書く理由が無くなってしまうのではないかとか言い訳しながら遠回りして核心に触れずにここまで生きてきましたが、人生をじっくりコトコト煮込んで書こうと思います……。

 

でも、次回はもうプロットがある程度固まっていて、オレンジの人の話になると思います。とはいいながら、そこに残るのはオタクの逡巡だけです。ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を下敷きにしようと思っていて、夏への扉なら戸松さんしかいないでしょうという気持ちです。

 

4人分書けたら、ふかふか団地としてではなく、個人として声優ファン4部作をまとめた冊子を出すのが、同人活動の中でのささやかな夢です。ありがたいことに1作目が収録されている『フランネル』は2回刷って完売しているので再録の意味も含めて。このくらいは形にして行きたいところです。

 

その際には、いろいろお知り合いに新規で挿絵などを依頼させて頂けると最高なのではないかと勝手に思い描いています

 

あと、来年はちゃんとライトノベルの賞レースに挑もうと思います。

 

今回の『夢のとなり』を未来の話にしたのも、それが理由の一つでもあります。徹頭徹尾私の小説であり、もはやある種の所信表明ですね。

 

文章を書く体力不足を痛感した次第なので、本年中は既に構想がある次の文フリの原稿を練りつつ、インプットと体力づくりを続けていこうと思います。

 

何の話やねんとなりましたが、ふかふか団地の新刊『おやすみ警報』をよろしくお願いします!!!!!!!!!!!!!!!

 

fukafukadanchi.booth.pm

 

この物語の続き

僕はまだ名前も 知らない猫だけど
いずれあなたと手を結び 立派な人になる
くるまってた背を伸ばし
きっと見ていて どうか見ていて
二本足で立ってやる

 

小説を書いていると「なぜ書いているのか」という命題に突き当たることがある。

 

これは小説に限った話ではなく、創作行為全般に言えることなのかもしれないけれど、私の場合は物心ついた時から文章を書いているからではなく、意識的に文章を書くようになったので、その答えは常に明快だった。

 

一つは豊崎愛生さんのために書いている。もう一つは自分のために書いている。

 

この二つの言葉の意味は、実はそう大きく変わるものではない。いつだって豊崎愛生さんのことを想って文章を書いているけれど、豊崎愛生さんに届けようと思って書いているわけでは無かったからだ。

 

だから、本当のことを言うと、入籍が発表された時、ほんの一瞬、自分が文章を書くことの意味が宙に浮いたような気がした。

 

-----

 

『ネムルバカ』という大好きな漫画の中で、強く印象に残っている台詞がある。

 

妄想ってのは妄想の中でウソを演じてる限り 絶対に実現することはありえないの 

 

私は高校3年生の頃からずっと豊崎愛生さんが好きなので、頭の中でもし豊崎愛生さんとお付き合いできたら、もし結婚出来たらと、想像してみようともした。

 

だけど、妄想の中でも私は、自分の思いの丈を言葉にした時点で大泣きしてしまい、デートとかそういうことをイメージする段階まで、どうしても進むことが出来なかった。

 

妄想の中ですらウソを演じることも出来ない私は、せめて自分の頭の中でくらい、自分が豊崎愛生さんに相応しいと思えるだけの人間になろうと思った。

 

特別になりたかった。並び立ちたかった。自分も世の中の多くに言葉を発信する立場になって、同じ高さから彼女の見ている世界の色を知りたかった。

 

それが、豊崎愛生さんのために書いていて、自分のために文章を書くということの意味で、文章というのは私がちゃんと相応しい人間になるための武器として選んだものだった。

 

一人の女性をここまで好きになったことが無かったので、どうしていいのかが分からなかったのだと思う。ちなみに今も分かっていない。だから、まずは自分がカッコよくならなきゃいけないのだと思った。特別にならなくてはいけないと思ったのだ。

 

-----

 

文章を書くことはいつだって苦しい。

 

自分の至らなさを思い知らされるから。自分が特別なんかではないことを確認するための作業だから。もっと上手く、面白く、華麗な文章を書く人はたくさんいた。息をするように物語を生み出して、生活をないがしろにしてまでも、それをどんどん形にしていく人間にもたくさん会ってきた。そういう人が『プロ』という特別になっていて、私は自分の生活や世間の目を投げ出してまで、創作に文字通り命を捧げることは出来ずにいた。

 

逆にいえば、諦めることも出来ずにいた。挑んですらいないのだから、当たって砕けることも出来ない。自分に才能があるとすれば、そうした決定的な決断を下さず、ふらふらと生きていくことだけは上手かったことだろう。

 

豊崎愛生さんがまだ結婚をしていないという状況も、きっとそれと同じだった。正直、恋愛感情みたいなものは超越して、いつしか尊敬という言葉に置き変わっていったけど、同時に若いころに夢見た「特別になって、並び立ちたい」という感情にも、まだ時効は来ていないように思っていた。就職してから書くことを続けていたのも、その諦めきれない夢を完全に終わりにしたくなかったからだった。

 

思いの丈を愛生さんに伝えて、大泣きしてしまう、どこまでも勝手な想像の中の自分。そんな姿がいつしか私の夢そのものになっていて、それは握手会やお渡し会ではなくて、私がライトノベル作家としてデビューして、大賞作のアニメ化が決定して、偶然にもそのメインキャストに豊崎愛生さんがいて、そこで原作者として、初めてずっとファンだったことを告げる。あなたがいたからここまで来れたのだと告げる。

 

そんなものは叶わないと思いつつも、アニメのような分不相応な夢をいつまでも捨てることが出来ずにいた。

 

だから、発表があった時、もう書く理由はないんじゃないかと感じた。かつて夢見た可能性に間に合わなくなったのだ。豊崎愛生さんにもらった時間への感謝は、この先、何があっても変わらないと胸を張って言えるだけの時間を過ごしてきたからこそ、心から祝福する気持ちも本当だった。だからこそ、これからはこれまで行くことが出来なかった(応募すらほとんどしなかった)握手会にいけるように努力して、そこで直接言葉を伝えていけばいいんじゃないかと思った。

 

色んな感情が胸の中で渦巻いて、言葉にならなかった。他の誰かが共感できるようなことを言っていたとしても、他の誰よりも私にとって大切な感情は、私の中にしかなくて、表面の上澄みを突き破った水底にこそ眠っているように思えた。

 

それが分かった瞬間に「書かなくては」と思わされた。

 

-----

 

文章を書くことはいつだって苦しい。時には息も出来なくて、時には傷口を直接抉ったり、ぐちゃぐちゃに搔きむしらなくてはいけないこともある。

 

それでも、どうしようもなくそのを表現しなくてはいけないと思わされる瞬間や感情があって、そうした奇跡のような時間をいくつも私にもたらしてくれたのが、豊崎愛生さんという人だった。

 

だから私は、自分が思いつく限りの、ありったけの祝福の言葉を手紙に書いて、大好きなあの人に送ろうと思う。

 

きっとそれこそが、ここまで文章を書いてきたことの意味なのだ。