16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

「30」

豊崎愛生3rdコンサートツアー「The key to Lovin'」のファイナル中野サンプラザ公演。そのダブルアンコールには、3rdアルバム「all time Lovin'」のリード曲でもある「クローバー」が選ばれた。
 

最初の一節を歌い終えた後、僕は本当に久しぶりに、愛生さんが涙で声を詰まらせて、歌えなくなってしまう姿をみた気がする。


次の瞬間には、反射的に自分の喉から声が出ていて、それは他の人たちも同じだった。


このツアーを締めくくる「クローバー」は会場全体の大合唱になる。
 

自分の声でこの曲を歌うのは、これが初めてのことだった。


頭の中で歌詞をたどりながら、ステージの上で歌っている愛生さんへ向けて、精一杯の声を発すると、すべての歌詞が自分の想いそのもののように跳ね返ってくる。


最後は泣いてるんだか歌ってるんだか、自分でもよく分からなくなっていた。

 

***

 

2016年10月28日、大好きな豊崎愛生さんが30歳の誕生日を迎えた。


思えばこの日は、かつて僕が夢みる色んなことの「タイムリミット」として設定していた時間でもあった。
 

夢の中で僕はライトノベル作家になっているはずだった。


色んな事がトントン拍子に上手くいって、デビュー作がそのままアニメ化し、その主演が愛生さんで、そこで僕は初めて、あの人に直接「ありがとう」を伝えることが出来る。


そんな時間を夢見る一区切りとして「ここまでには叶えていよう」と、かつての僕が漠然と思っていたのが、愛生さんが30歳になる節目の年だった。


今の僕はライトノベル作家ではない。何かを叶えられたかと聞かれたら、何も叶っていない。今もその夢を真っ直ぐに追い続けられているかと聞かれても、そう在れてはいないのかもしれない。


ただ、豊崎愛生さんが大好きだという感情だけは、ずっと持ったままでこの節目の年を迎えることが出来た。


だから、その夢見た「書くこと」も、諦めきれずにここまで来れたのだと思う。

 

これまで、僕が豊崎愛生さんについて書いてきた言葉というのは、壁打ちのようなものだった。今も半ば自分のために書いていることだったけど、同時にそれを誰かに見つけてほしいという感情も確かにあった。


それは、愛生さんのことを書くという行為が、僕にとっては自分のことを書くことに等しかったからなのだと思う。


僕にとって10月28日に書く日記というのは、その時の自分が愛生さんのことをどう思っているのかを知るために、改めて頭と心の想いを整理して、また新しく愛生さんのことが大好きな一年を歩き始めるためのもので、僕にとっては、もう一つの年明けのような感覚があった。


だからこの日記も8割ぐらいは自分のために書いているもので、この言葉が愛生さんに届いてほしいという訳ではない。でも、少しだけ誰かには見つけてほしいかもしれない。そんな面倒な感情と自己満足とで構成されている

 

だけど、これまでを振り返ると「書くこと」を通じて、たくさんの出会いがあって、繋ぎ止められた関係性があった。


それらは全て、あの日夢見た僕の時間から繋がっているものだ。


叶えられなかった悔しさは少しあるけど、その時間を後悔することは決してなかった。


あの時は、声優さんという職業をいつまで続けているのか、スフィアは、ソロの活動は。あの頃は、失なっていることも、続いていることも、等しく想像出来なかったからこそ「30」という数字を僕の中で、勝手に一つの区切りにしていた。


だけど、こうして今も、愛生さんは変わらず僕の心の一番大切な場所にいてくれて、今年発表された「all time Lovin'」というアルバムと「The key to Lovin'」というコンサートツアーは、きっとそれがこの先もずっとずっと変わらないことなのだと確信させてくれる宝物であり、旅であった。


もう豊崎愛生さんを好きなことが「当たり前」になりつつあるけど、誰かを好きでいることに当たり前なんて一つもない。


だから、僕の想像の果てより、さらに先まで大好きで居続けさせてくれていることが、何よりも幸せなことで、何よりも愛生さんに感謝しなくてはならない事実なのだと、改めて強く感じた。

 


***

 


あの日の「クローバー」は、そんなかつて見ていた夢が、今も変わらずそこにあると気付かせてくれたから、涙があふれて止まらなかったのだと思う。


だから僕はこの先も夢を見る。


往生際が悪いのかもしれない。諦められないだけなのかもしれない。自分の能力がまだまだ、まだまだ全然足りていないのは自覚していて、それを補うための時間も覚悟も足りていない。それでいて、仕事を投げ打ってまで身を投じる度胸もない。


だけど、やっぱり愛生さんが活動を続けているうちは、自己満足でも、あの人のことを想って何かを書いていたい。もし会えなくなっても、かつて自分が見ていた小さな夢をたくさん混ぜ込んで「書くこと」だけは辞めないでいたいと思う。


「ありがとう」を伝えられるれる日は、今も夢のままだけど、いつかちゃんと伝えられる日を夢見て、この先も歩いきたいです。いろいろ頑張ります。
 

豊崎愛生さん30歳のお誕生日心よりおめでとうございます!

はらひろさん、お誕生日おめでとうございます

今、大好きな豊崎愛生さんのラジオを聴きながら、この日記を書いています。

本日12月17日は、はらひろさんのお誕生日です。

心よりおめでとうございます。

初めて直接お会いしたのは今年の春で、まだ1年経っていないんだなと思うと、とても不思議な感覚です。

出会った時間の全てが濃密で、どんなことを話したかはもちろん、1週間前に何を食べたかは思い出せなくても、はらひろさんと何を食べたかは、何を食べようとして、結果妥協して何になったかまで鮮明に思い出せるからです。

Twitter上では2013年ごろからの付き合いだったのですが、当時の私はエッチな本が家に一冊もない潔癖な少年で、そのくせはらひろさんのアイコンがComic LOの表紙であることには気づいていたため、なかなかフォロー返しさえしない態度の悪いクソガキと化していました。

しかし、私のアイカツに対するつぶやきをみていてくれているのは伝わってきていて、1期終盤へ向けては加速していく物語を共に見つめる一人になっていました。

でも私は基本的に超絶人見知りなので、多分それだけでは直接お会いすることはなかったと思います。

今年の誕生日に、はらひろさんは私に向けて日記を書いてくれました。

私なんぞの事を、あんなにも真剣に語ってくれることがただただ衝撃で、その行為も文章も本当に嬉しくて、そんな想いに応えたいなと思わせてくれたからこそ、本当に大切な友人に出会うことが出来たのだと思います。

実際に会ってみたら、いくら話しても話し足りないくらい、最初からただひたすらにお互いのことを話していました。

夏にお会いした時に、以前からオススメしてもらっていた『思い出のマーニー』を観た感想を、国立のコメダコーヒーでお話して、その第一声がお互い全く同じものになるということがありました。

私はその時「鏡写しなんだな」と感じたことを覚えています。

これまでの私のことをすべて見てきてくれているようで、話しているうちにこれから私がどうするべきなのか、何がしたいのかが見えてくる。話し疲れて帰るころには、毎回何か一つ、胸の中で確信めいたものが生まれていました。

今年は色んなことを始めて、色んなことを頑張ってみたら、私の周りが少しずつ動き出した1年だったように思います。

その一歩を踏み出す勇気を私に思い出させてくれたのは、お互い顔も名前も知らない中で、私にあれだけの言葉を直接伝えようとしてくれたはらひろさんだったと、今でも強く感じる次第です。

本当は話したい具体的なエピソードは山ほどあるのですが、それは私の思い出の中だけに大切にしまっておきます。

あと約2ヶ月くらい同い年なので、また近々お会いしましょう。