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私の姉と「百合ヶ咲るる」という女の子

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冷静になってあとから考えたら、また違う言葉が出てくる気がするけど、冷静じゃない今日感じたことを覚えておきたいと思った。

ユリ熊嵐11話のお話です。

ネタバレを多分に含むので、まだ観てない人はご注意ください。

OP前のあの描写から、今日が「その時」であることは薄々勘付いていた。

そもそも「その時」は、百合ヶ咲るるがキスを諦めて、その願いを承認された瞬間から、どうしようもなく訪れる事が決まっていた。

私にとっての「スキ」とは、きっと最初から百合ヶ咲るるの、百合城銀子に対する「スキ」だった。

しかし私がそれに気づいたのは、第8話で銀子に「壁の向こうで一緒に暮らそう?」と語りかけ、屋上で自身の願いを無に期させる危険性を秘めた想いを叫んでしまった時だった。

10話で一度「その時」のタイミングを逸したのは、そこで死を迎える事が「銀子の想いを遂げること」には繋がらなかったから。承認を受けたクマを人の銃弾が貫く事には、いつも意味があった。

この物語の主人公、月の娘と森の娘は椿輝紅羽と百合城銀子だ。

残りの話数もあとたったの2話。澪愛がかつて銀子にそうしたように、紅羽に「スキ」を渡された百合ヶ咲るるは、このまま物語からフェードアウトし、その「スキ」を抱えたまま、「キス」を失ったまま、生きる事が赦されるのかもしれない。ひょっとしたら全ての答えが出た後、その先を見せてくれるのかもしれない。そう思っていた。

だから今日、ハチミツの壷が割れるところをみて、とにかく「この話は胸に刻み付けなくてはならない」と思ったのだ。

るるが撃ちぬかれた事に対する感情は、この娘の視点で物語を観ていたからこそ「悲しさ」などでは決してなかった。

私はただただ、最終話の1話手前という物語の核心を語るべき場所で「百合ヶ咲るる」の話をしてくれた事が、本当に衝撃で、そして何よりも嬉しかったんだ。

ユリ熊嵐は百合城銀子と椿輝紅羽の物語ではなく、百合城銀子と椿輝紅羽と百合ヶ咲るるの物語になった。

銃弾を受ける事で自身の想いを遂げたるるは、もうクマの姿から人間の姿に戻る事が出来ないけど、銀子には人の姿で最後に言葉を伝える事が出来た。自分のスキが本物だったことを証明したのだ。

だからこそ、エンドカードで「人の姿」で銀子の背中に寄り添う姿を見て、驚くほど涙が止まらなかった。

このアニメは私の姉と二人で観ている、アイカツ!を除くと今期唯一の作品。

モチーフとして「百合」が使われており、それも肉欲的な、直接身体を重ね合わせるような表現も多く使われていることから

「お姉さんと観るには結構ハードルが高い作品なのでは?」

という指摘を以前受けた。

観始めたきっかけとしては、幾原監督の前作「輪るピングドラム」を一緒に観て、お互い考察しながら深く感銘を受けていた事が大きかった。

しかし1話のオープニングを観た時

「これはもしかしたら、許容しきれないかもしれないな」

と思いながらも、幾原監督だからと無理やり飲み下しているような気まずい空気を、姉から感じました。

でも、1話を無言で観終えたあとに

「今のわたしにとって、すごく大切な物語になりそうな気がする」

と、姉は目を赤くしながら私に訴えかけてきた。

それは私が「私はスキをあきらめない」という言葉を初めて目にした時と、同じ感情だった。

私は姉が好きなものの事を当然詳しくは知らないし、姉も私の好きがどんな熱を持っているのか、もちろん全て知っているわけではない。

お互いにジャンルは違いあっても、好きな人の話をする時は、お互いがその人に対して思っている感情から引用して「わたしも○○を観てる時××だから分かる」「俺も○○って曲を聴いて、同じように思ったことがある」と、話していた。

ただ、大好きな誰かの「スキ」が叶う事に、自分自身のスキを託してしまう「百合ヶ咲るる」に、自分自身の「スキ」を重ね合わせて物語を観ているのは、私も姉も同じ事だった。

だからお互い黙って頷きあうことしか出来なかったし、そうしてこの傲慢な想いを「大切だ」と感じてくれる人と、この時間を共有する事が出来て、本当に良かったなと感じた。

「誰と観るか」ってとても重要な事だなと最近思うけど、るるが共通言語になってくれたおかげでこの作品は姉と観る事が出来て本当に良かったと思います。

来週の結末も括目して見守ろう。