16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

おかえりラジオでメールを読んで頂いた話

 

おかえりラジオでメールを読んで頂いた。

振り返ってみると、2018年11月15日のボジョレーヌーボー解禁についてのメール以来の採用なので、今年初めてメールを読んで頂いたことになる。

おかえりラジオにメールを送るにあたって、私の中で勝手に決めていたことがあった。

可能な限り、当たり障りのない日常の話を書いて送ろうということだった。

そして、それを何があっても毎週送り続けようということだった。

「私」という人間の姿が、極力見えないように。

それは、かつていろいろあった時期に、これまで3か月に一度読まれればいい方だった私の何でもないメールが、1週間おきに連続して採用された時あたりに決めたことだったように思う。

当時の私は、今ほど語れる言葉も、文章を書く体力も無かったのだけど「頑張れ」とか「応援してます」とか、あの時、そういう言葉は無力なように思えた。

だけど、馬鹿らしい、特段中身のないようなメールに、少しだけ愛生さんが笑ってくれた時に、私が聴き続けていたかったのはその声で、ならば私は特別ではない私の日々のことを、おかえりラジオには送り続けようと思った。

 

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本日のメール、読んでもらえるとあまり思っていなかった。

かつての実感としては、テーマメールを採用してもらえる時は『スピード』が大事という気がしていて、テーマを聞いてからスパッと書けた簡潔なやつを良く読んで頂いていたからだ。

テーマに対して書くことがパッとは思い浮かばず、かつての自分の発言などをtwilogで遡って、言葉を選びながら書いたので、メールを送った時間は結構遅めだった。

なので、番組の中で読んでもらえなくても、どこかで目を通してもらえればいいやと思って送っていた。

 

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去年、豊崎愛生さんを通じて知り合った友人と、お互いの人生の話をたくさんした時に

「人生で上手くいかないことがあっても、自分の弱いところも含めて、全部愛生ちゃんにお手紙で伝えるようにしている」

「だって、それは彼女が僕たちにしてくれたことだから」

と話していたのを聞いて、目から鱗が落ちた気がした。

私は、多分それをワガママだと思ってしまう。

そして何より、大好きな人に、あまりにも何もない、弱い自分をさらけ出す勇気がなかった。

それは、彼女が私たちにしてくれたことで、私たちのことを救ってくれた勇気でもあるのに。

人生をより良くするために、戦っている日々のことを話した後に、そんなことを言える彼の姿は私には本当に大きく見えて、羨ましくて仕方がなかった。 

 
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本日のメール、文面上は省略してはいるけど、このブログを1つ使って、一つ一つの楽曲の感想を書いて送り返すくらいには、当たり障りのないことではなくて、私にとっては「本当に嬉しかった」出来事を送ったものだった。

そして、豊崎愛生さんにそのメールを読んでもらうことに、意味がある人から頂いたものの話でもあった。

そういったことを、きっと彼女は知らない。

それでも、私のメールをきっかけに、愛生さんも友人からもらった大量のMDカセットが自身の音楽のルーツになったエピソードを話してくれた。

自分のことを話して、届くことがあるんだなと思った。

繋がることはあるんだなと思えた。

だとすれば、これからは重たくてもめんどくさくても、弱くても何もなくても、私は豊崎愛生さんに出会って変わった私の人生の話を、豊崎愛生さんに出来る人間になりたいなと思った。

そのくらい、勝手に死ぬほど嬉しかった本日の1通でした。