春の朝(LAWSON presents 豊崎愛生 コンサート2021~Camel Back hall~の感想)
先日、鳥取砂丘に行った。
豊崎愛生さんの4thアルバム『caravan!』のモチーフの一つに砂漠がある。
砂漠、実際に行ったことは無いな……と思い、砂丘で追体験してみようと思ったのだ。
第一に思ったのが、見渡す限り真っ白な地平が続いていると、周囲との距離感が分からなくなるのだなということだった。
すぐそばのように見えた急坂も、歩いてみたら意外と遠くにあって、砂に足を取られたこともあって、坂の上に辿り着くのに随分時間が掛かってしまった。
頂上にはポツポツと人がいたのだけど、もう一度登り直す手間を増やしてまで、わざわざ反対側に降りる人はおらず、坂を下りた先の海岸では一人になった。
この日の鳥取砂丘は快晴で、砂から照り返す熱は想像以上に厳しく、600mlの水1本だけしか持ってこなかったことを後悔する。身体からみるみる水分が失われていくのが分かったので、早めに切り上げて戻ろうと思った。
『caravan!』を聴きながら、砂の上を歩く。
足下をみると、同じように、この場所を歩いた誰かの足跡が伸びている。
遠くない過去、自分と同じようにこの海岸に来て、この砂漠を歩いた人がいた確かな事実に、何か安心した気持ちになった。
足跡を頼りに坂を上って、少し進んだ先で後ろを振り向くと、会場に一艇の調査船が佇んでいた。
歩いて、振り返り、歩いて、振り返りと繰り返していると、少しずつ船は小さくなっていく。
一面に広がる真っ白な景色の中、定点に漂う調査船のおかげで、自分がちゃんと前に進んでいて、目指している場所に近づいていることを確かめることが出来た。
私にとっての豊崎愛生さんは、そういう存在なのかもしれないなと思った。
自分でも「もうちょっといい喩えを思いつけよ」と笑ってしまった(夜に来れば『星』だと言えたかもしれないね)のだけど、そう思ってしまったのだから仕方ないね……。
誰かと聞いた荒野の中で あなたを感じていた
誰かと呼んだ今夜の星に あなたを想っていた——豊崎愛生『TONE』
進むべき方角が分からなくなった夜、昔の人たちは、動くことのない北極星を道しるべに旅をしたという。
400光年以上離れた星の輝きは、人を救うために光っているわけでは無いのだけど、だからこそ、夜空を見上げた誰かにとっては、いつでも希望そのものだったんじゃないかなとも思う。
『LAWSON presents 豊崎愛生 コンサート2021〜Camel Back hall〜』セットリスト
01. walk on Believer♪
02. music
03. リンゴのせい
04. TONE
05. ランドネ
06. さすらいの迷える仔猫
07. Cheers!
08. Alright
09. 日替わり曲1
(ほおずき/CHEEKY/パティシエール/タワーライト)
10. 何かが空を飛んでくる
11. マイカレー
12. MORNING:GLORY
13. See You Tomorrow
14. シャムロック
15. ライフコレオグラファー
16. ハニーアンドループス
17. それでも願ってしまうんだ
ENCORE
18. 春風 SHUN PU
19. 日替わり曲2
(クローバー/ディライト/ソラソラ☆あおぞら/letter writer)
20. March for Peace
- 幸せ歌
- リンゴのせい2021
- さすらいの迷える国の重要文化財(34)
- 日替わり曲その1(CHEEKY、タワーライト)
- 銀河のSAVAカレー(トーストとハチミツとコーヒー付)
- 孤独と自由
- 君と願い待ちわびた日に
- 日替わり曲その2(ディライト)
- 日替わり曲その2(letter writer)
- 春の朝(あした)
- おわりに
幸せ歌
コンサートは「どれだけ冒険したとしても、この曲さえあれば、いつでも自分らしさを取り戻せるんだろうなぁと思えます」と語ったwalk on Believer♪から始まる。
2曲目、これまで中野サンプラザで幾度となく奏でられてきたmusicのクラップを聴いた瞬間、少し泣きそうになってしまった。
musicは、豊崎愛生さんが、これまで関わったアーティストたちから授かった翼のような楽曲だった。
自分を信じて、観客席にいる私たちのことを信じて、もう一度ステージに立ち、クラップを重ねてきた時間の中で、この楽曲は真の完成を見たことを強く覚えている。
『caravan!』というアルバムと、リード曲のそれでも願ってしまうんだは、musicで歌われている「幸せ歌」から着想を経て生まれたという経緯がある。
先日の「リスアニ!Presents 豊崎愛生 4th Album 発売記念特番 ~music caravan!~」で、愛生さんはmusicという楽曲に関連して、こんな話をしていた。
本当に唯一自慢できるのは人のご縁。
人の縁だけは、誰にも負けないくらい自慢できる。
『caravan!』は、既存曲であるハニーアンドループスとマイカレーの仁科亜弓さんを除けば、作詞作曲はもちろん、レコーディングの演奏者さえも被っておらず、これまで以上にたくさんの人たちが関わったアルバムになっている。
約5年ぶりのオリジナルアルバムとしては、厳選された10曲という曲数ながら、彼女が歌い続ける中で出会ってきた人の縁が詰まっているアルバムでもあるのだ。
彼女が表現している『幸せ』というのは、まさに誰かと誰かが出会い、そこで生まれた縁のことなのだと思っている。
そういう意味で、私たちが豊崎愛生さんと出会ったことで生まれた『音』を、10年近く重ねてきた縁、そのものを奏でるmusicを聴いた瞬間に「ああ、帰ってきたんだな」と強く感じたのだろう。
リンゴのせい2021
3曲目のリンゴのせいも、触れずにはいられない。
イントロが聴こえた瞬間、ま、まさか、2021年にリンゴのせいをやるとはな………………………となり、膝に矢を受けて崩れ落ちてしまった。
ああああああああああああああ!!!今日リンゴのせい歌ったのかあああああああああああああああ!!!!!
— ケイスケ (@gkeisuke) 2012年8月12日
くやしいなぁ リンゴのせいとはすれ違いが続く
— ケイスケ (@gkeisuke) 2012年8月12日
orbitの時もだったが、リンゴのせいのことめちゃくちゃ愛してるのに、リンゴのせいに愛されてない
— ケイスケ (@gkeisuke) 2013年10月19日
リンゴのせい、個人的にめちゃくちゃ好きな曲であると同時に、Sphere's orbit live tour 2012において、ソロの日替わり曲に選ばれながら、すれ違いが続き、ツアーファイナルの幕張初日でようやく聴けたという、思い出深き楽曲でもある。
当時の気持ちを思い出そうとmixiを遡っていたら、リンゴのせいを聴けた俺(20)の喜びの日記がみつかったので、当該箇所をここに公開させて頂こうと思う。
2012年のケイスケくん、うるさいが、嬉しそうなオタクという気持ちが真っすぐに伝わる文章で好感が持てる。
その後、2ndツアーのletter with Loveで聴けたのが私にとっての最後の記憶で、コンサートで聴くのは7年ぶりとかになり、もはや走馬灯をみているような感覚に陥った。
ちなみに、私が輪るピングドラムという作品に触れたのはこの後のことだったのだけど、この作品の重要なモチーフ「運命の果実」としてリンゴが存在し、豊崎愛生さんが演じる荻野目桃果*1は、ある意味ではリンゴのせいとも言えるのかもしれない。
リンゴというのは、砂漠という渇いた場所の中での水分にも当たるもので、救いそのものであることから、荻野目桃果*2に、こどもブロイラーから救われた時のことを思い出していた。
自分で書いてて思ったのだけど、こういうところに、俺(29)の良くないところが出ており、素直に真ん中分けの豊崎愛生さんを観ながら「申し訳ないけど、完全に女神の形をしておる」と思っていたことの方を書くべきなんですよね。
さすらいの迷える国の重要文化財(34)
4曲目TONEで、背景に広がる砂漠とラクダのセットと共に、ここが砂漠であることを思い出しながら、誰かと共に初めてこの曲を聴く中で、独りではない安心感を覚える。
だからこそ、5曲目ランドネで、自分の内側とだけと向きあうように、独りで砂漠へと歩みを進めることが出来るのだとも思う。
そして、6曲目のさすらいの迷える仔猫である。
豊崎愛生さん(34)のさすらいの迷える仔猫、国の重要文化財として確実に保護した方がいい
— ケイスケ (@gkeisuke) 2021年7月24日
さすらいの迷える仔猫を聴きながら、豊崎愛生さんのファンになりたてだった頃の俺(17)のことを思い出していた。
こんなにも誰かのことを好きになるのが初めてだったので、いろいろ思い悩んでいたのだけど「愛生さんが年を重ねられても、今と同じように、心からかわいいと思えているのだろうか?」という、今聴いたら失礼すぎてぶん殴っているような悩みを、まあまあ真剣に抱えていた。
振り付けのニャンニャンポーズ*3を、かつてよりも少し控えめに、少し恥じらいながら踊っているように見える豊崎愛生さんの姿を観て、ねえ俺、あの頃の俺。心配しなくてもいいよ 。豊崎愛生さん、34歳の今が一番美しく、そして今が一番可愛いから…………と思いながら、豊崎愛生さんのおでこから放たれる神々しい光に身を焼かれていた。
しかも、このさすらいの迷える国の重要文化財(34)の後に披露される7曲目が、東京での大人の恋愛を歌ったCheers!というのノーベルセットリスト賞ものだろ……。
Cheers!については、初披露時に比較的真面目に書いた文章があるのだけど、2番までフルで聞いた後「東京に居場所が無かった」という、私自身の感情さえも掬ってくれるような歌詞が展開されており、このアルバムの新曲ではあるが、これまでの豊崎愛生さんの全楽曲の中でも1番と言ってもいいくらい好きな楽曲になっていた。
想像もしていなかったセットリストの魔法によって、最高の楽曲を、最高の状態でお出しされてしまい、Cheers!を聴いている時、あまりの多幸感で二フラムを受けたゾンビ系モンスターの気持ちを思い知った気がする。
日替わり曲その1(CHEEKY、タワーライト)
8曲目のAlrightも、1stアルバムの中でもトップクラスに好きな楽曲だが、振り返ってみたら、私がコンサートで聴いたのは約7~8年ぶりで、イントロを聴いた瞬間、うおお……となってしまった。
変わること、羽ばたくこと、飛び立つことを信じる楽曲で、1stアルバムがリリースされた頃は未来に向けて歌っていたように思えたのが、今はかつて思い描いていた未来から歌っているように聴こえたのが一番大きな変化のように感じた。
9曲目は日替わり曲のパートで、私が聴いたのはCHEEKYとタワーライトの2曲だった。
正直、どちらも非常に思い入れが強い楽曲だったので、この2曲を日替わり曲で聴けたことは僥倖だったなと思っている。
『caravan!』というアルバムについて、愛生さんは「ネガティブに寄り添うのではなく、元気になれる明るいアルバムを作りたい」と語っている。
だから、CHEEKYが歌われたことには結構驚いた。
アルバムやライブのコンセプトからは、やや逸脱する楽曲のように思えたからだ。
ただ、CHEEKYも決してネガティブなまま終わる曲ではなく、鏡の前の自分と向きあって、変わろうとする曲であることにも気づく。
これまでの音楽活動の中で、愛生さんは、ネガティブな感情をネガティブなまま吐露することで、誰かに寄り添う楽曲を少なからず歌ってきた。
そして、その楽曲たちに救われてきたのが、他ならない私という人間でもあった。
この日のCHEEKYは「さみしいよ口にしたら笑えないじゃない」と笑顔で歌う姿の方が印象に残っていて、自分の弱さと向きあい、前に進もうとする意志も、またキャラバンの列を成す中で、無かったことにしてはいけない感情の一つなのだと感じる。
そして、日曜日夜公演の日替わり曲はタワーライト。
社会人になってからの私の隣に、常にいてくれた楽曲だった。
同じ東京タワーというモチーフが歌われた7曲目のCheers!との対応もあるのだけど、時には自分を見失いそうな日々を過ごす中、道しるべのように心の中で灯り続けるあたたかな光を、目の前で確かめることができたような、優しいパフォーマンスだった。
銀河のSAVAカレー(トーストとハチミツとコーヒー付)
10曲目は何かが空を飛んでくる。
2009年にリリースされた1stシングルlove your lifeのカップリング曲で、豊崎愛生のディスコグラフィの中でも最古の曲の一つである。
2009年の私は、17歳の高校3年生だった。
タワーレコード新宿店でlove your lifeのリリースイベントがあり、整理券を持っていなかったのだけど、店内から音漏れを聴き、あわよくば少しでもお姿を見るために、フロアから背伸びして眺めたイベントスペースのことを思い出す。
タワレコという場所に馴染みが無さ過ぎて、ちょっとオシャレな場所だと恐れているのが面白い。
砂漠のセットを背景に、夜空を見上げるようなパフォーマンスは、これまで以上に『星』の要素が強くなったように感じた。
11曲目のマイカレーは、ライブだからこそのバンドメンバーと足並みを揃えての生演奏。
呼吸を合わせることで増すのが緊張感ではなく、生活感やゆるさのようなものであったことが、この曲らしく、愛生さんらしくもあるなと思った。
12曲目のMORNING:GLORY、13曲目のSee You Tomorrowという朝の楽曲で、ゆるやかに速度を上げていく。
See You Tomorrowは、やはり2ndツアー最終公演のダブルアンコールにこの曲が選ばれたことを思い出す。
2ndツアーの当時は大学4年の秋で、就職を間近に控え、こんなにもたくさん豊崎愛生さんにお会いできるのは、これが最後かもしれないという思いで全国各地を回っていた。
そのツアーの最終公演、想いの重なりで実現したダブルアンコールで「また明日」という約束を交わすこの曲を歌ってくれたことで、この幸福な時間から離れて、新しく始まる朝を、ようやく肯定できた気がしたのだ。
MORNING:GLORYでベットからゆっくりと身体を起こし、See You Tomorrowで外へと歩き出す感じが、とても心地よく感じた。
孤独と自由
14曲目シャムロックで、旅に出た時の弾むような高揚感を幸せと呼ぶのだと思い出す。
15曲目のライフコレオグラファー、ライブでのパフォーマンスが楽しみな新曲だったが、これが非常に良かった。
「声で遊んでもらった」と話していた通り、他に例を見ない低音で歌っていたり、ボカロっぽい加工をしたりと、楽曲の方向性としては、最も変化や新しい挑戦を感じさせる曲でもあった。
ライブでも遊んでいて、背景の真っ白な砂漠が、照明によってカラフルに照らし出される。
土曜日、一緒にライブに行った後輩が「砂漠というのは、本来自由なものなんですよ」という話を、ライブ前にしていたことを思い出す。
真っ白で何もない。だからこそ何色にもなれる。
「抱き合わせなんだろ。孤独と自由はいつも」と、豊崎愛生さんが大好きなロックバンドは歌っていた。
他人と足並みをあわせることを皮肉りながらも、この楽曲は、失敗をして、転んでしまうかもしれないけど、自分のためにリスタートしてみようという結論に行き着く。
自分の生き方を、自分自身で決めて、挑戦し続けることを歌った彼女の姿は、誰よりも自由で美しく見えた。
君と願い待ちわびた日に
16曲目ハニーアンドループスで、声を出せない中でも、ミラーボールの光とダンスで繋がる。
ライフコレオグラファーからの繋がりとしても、ステージ的な盛り上がりはもちろん、豊崎愛生さんの楽曲の中でもごくわずかなタイアップ曲であり、ダンスナンバーでもあるこの曲が、とても華やかに映えたように感じた。
そして、アンコール前最後となる17曲目は 『caravan!』のリード曲でもあるそれでも願ってしまうんだ。
「手を繋ぎたいよ 目を合わせたいよ」
と繰り返し歌うこの曲は、約束の歌だと思っていた。
生で聴くのは初めてにも関わらず、何度も聴いたことがあるような懐かしさがあって、クラップの音の重なりは、この日を待ちわびた全員の願いのようにも思えた。
最後の「ラララ」というパートは、声を出すことは出来なかったけど、誰もが心の中で歌っていて、そして、また声を重ねられる日が来ることを願っていたのだと思う。
だからこそ、声が出せないから不完全なパフォーマンスということは全く無いように思えた。
こうして出会えた今日に約束は果たされ、次にまた会える日まで、明日も明後日も、十年先でも、元気で笑って生きていようと新しい約束を交わす。
それでも願ってしまうんだに込められた想いは、コンサートの中で、音楽としての完成を見たのだと思った。
アンコールまでに『caravan!』の中から、アルバムの大トリを飾るMarch for Peaceが歌われていないことに気づく。
アンコールというのは、目の前にいる観客が、決して当たり前ではない続きを求めて、演者がその想いに答える信頼関係があって成立するものだ。
例えば、先の配信ライブは、どんなにこれまでのライブと同じ精神性だったとしても、やはりアンコールは無かった。
March for Peaceが歌われなかったのは、それ自体が、1秒でも長くこの時間を共有していたいという想いを共有する信頼があったからこそなのだと感じている。
拍手だけで行われたアンコール後の1曲目は春風 SHUN PUだった。
musicのようにクラップではなく、歌声を重ねる中で、10年以上の時間を積み上げてきた楽曲だった。
それでも、声が出せない中でも、この日の春風 SHUN PUは、いつもの春風 SHUN PUだった。
ラスサビ後に、願いを重ねるように、もう一度フレーズを繰り返す。
いつもは私たちと共に歌ってきたそのフレーズを、再び歌える日を信じているからこそ、心の中の歌声を代弁するかのように、彼女は歌っていた。
「次にみんなと会えた時『君と願い待ちわびた日に 咲いた咲いた桜の花が』という歌詞がピッタリくるなと思った」「みんなと歩んだ歴史のおかげで、声が聴こえてきた」と話していたように、温かな風が吹き、花が開く、僕らの春を願う歌声だと思った。
日替わり曲その2(ディライト)
アンコール後の2曲目も、日替わり曲のパート。
私が聴いたのはディライトとletter writerの2曲だった。
この2曲にも、語り尽くせないほどの思い出があるのだけど、ここまでのセットリストを聴いてきて、結局、どの曲にも思い起こされる景色があって、その時間と結びついた記憶があるのだなと感じる。
ディライトは、2ndツアーletter with Loveのツアー中に初披露された曲だった。
See You Tomorrowの時にも書いたように、当時は卒業を間近に控えた大学4年生の冬で、土日が仕事になる職場に就職が決まっていて、これまでのように好きなだけライブに参加できるのは、もうこれが最後だと思って、行ける限りのコンサートに参加していた時期だった。
そんなツアーを回る中、彼女の生まれ育った地である、年末の徳島公演で、新曲としてディライトが初披露された。
始めて聴く曲なのだけど、その時の自分の心情を見透かしたようなその言葉に、心臓を掴まれたような感覚があった。
大丈夫だ
時間はまだまだあるじゃない
ぎりぎりまで一緒にいよう
それから手を振るバイバイバイ
春になってスタートして
何にも無かったかの様に
日々は続いてバイバイバイ
人は忘れ行くけど
時々耳かすめてく
風に君を思い出して
スマイル
——豊崎愛生『ディライト』
当時は「『何にも無かったかの様に』なんてならない」「いつでも想っている」と、少し反発もしていたのだけど、ぎりぎりまで一緒にいたあの日から、7年以上の時が経って再会した今は、その言葉の意味も少し分かるようになった気がした。
別れがなければ「また明日」と交わした約束を果たすことは出来ない。
そして、別れた先でそれぞれの日常を懸命に生きて、再会した時、何度でも新しく恋をさせてくれる彼女だから大好きなのだ。
日替わり曲その2(letter writer)
そして、日曜日はletter writerを歌った。
ライブ後、一緒に参加した後輩と話していて、日替わり曲を含めて、今年2月に行われた配信ライブ『Dive / Connect @ Zepp Online』で歌われた楽曲はホボ歌われなかったことに気づく。
『caravan!』の収録曲である、ランドネ、walk on Believer♪、それでも願ってしまうんだを除くと、配信ライブと共通して歌われているのはletter writerだけだ。
思い返せばこの曲は『Dive / Connect @ Zepp Online』の1曲目に歌われた曲だった。
ならば『Dive / Connect @ Zepp Online』と『Camel Back hall』は、合わせてひとつなぎのライブだったのではないかと想像する。
愛生さんは配信ライブのテーマを「歩き続けること」「幸せ」の2つだと話していた。
『Camel Back hall』の最終盤で、改めて2ndアルバムのリード曲でもあるletter writerを聴いて、彼女が歌い続けてきたメッセージは、ずっと変わっていなかったのだということを思い知らされたような気がした。
そして、それはアルバム『caravan!』の根底に流れているテーマとも共通している。
配信ライブの1曲目に歌われた曲を最終公演のオーラス前に配置したことは、配信ライブで歌った楽曲たちを含めて、これまで歌ってきた全ての時間を、この先に連れて行くという意志なのだと思った。
同時に、配信ライブとCamel Back hallがひとつなぎになることで、この状況下でコンサートに来られなかった人たちも、確かにキャラバンの一員であるというメッセージなのだとも思う。
春の朝(あした)
そして『Camel Back hall』の大トリを飾るのは、March for Peace。
キャラバンは、ラクダと一緒に砂漠を旅する商人の集団のことで「世の中が砂漠のような状況でも、楽しい音楽とともに笑顔いっぱいに歩いていきたい」という願いが込められ、名付けられたのが『caravan!』というアルバムだ。
今の世の中を砂漠だと彼女が称するならば、照り返す日差し、渇いた私たちを潤す水こそが、ライブやコンサートであり、不要不急と誰かに区別されたエンターテインメントそのものなのだと思う。
同時に、砂漠は自由なものでもあるのだと、彼女は示してくれた。
配信ライブという新たな形式で、時間と場所の制約を越えて、一人と一人として、これまでと同じように言葉や想いを届ける術を手にした。
そして、人と人とが繋がりづらくなった今の時代でも、新しく人と出会い、新しい音楽を奏でられることを、約5年ぶりのオリジナルアルバムを通して教えてくれた。
それは地図の無い砂漠の中でも、歩き続けることを諦めなかったからこそ、辿り着けた場所なのだと思う。
先の見えない砂漠を歩く時、人はどうしようもなく孤独だ。
心がくじけてしまう時は、夜空を見上げて北極星を見つける。誰かが歩いてきた足跡を探す。すぐそばで歩いている仲間に勇気を貰う。
喉が渇いて、歩けなくなってしまう時もある。
ラクダのコブには栄養が詰まっていて、飲まず食わずでも、2週間は生きていけるらしい。
ああ 旅の途中 まだ見ぬ自分と喜びながら
ああ 期待の中 見つめた未来に種が芽生える
ああ 旅は続く 知らない景色といくつ出会うの
ああ 思いのまま 辿った軌跡に薔薇が揺れてる
——豊崎愛生『March for Peace』
水をやり続けなくては、花は咲かない。
砂漠の中でも、諦めずに水をやり続ければ種は芽生え、花は咲くことを強く信じている。
『Camel Back hall』は、それぞれの日常を懸命に歩き続けるための潤いを与えてくれて、願いが結実した日に、みんなで笑って再会するための約束だったのだと思う。
春の朝(あした)
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
―—ロバート・ブラウニング
(上田敏訳詩集『海潮音』より)
おわりに
慣れ親しんだ中野サンプラザの観客席から見つめる豊崎愛生さんの姿は、29歳になった今でも、私にとっての定点だった。
『Camel Back hall』の2日間、私は楽曲の中で過去の自分と再会していて、このコンサートの感想を書くことは、ほとんど20代の総括みたいになるのではないかと思っていた。
かつての私は、がむしゃらで、自分のことしか見えていなくて、無謀な夢を語りながら、それを叶えるための努力は出来ておらず、あまりにも未熟だった。
だけど、強く、真っすぐに豊崎愛生さんのことを愛していた。
その想いを直接彼女に伝えられなかったとしても、足りない言葉を手繰り寄せて、未完成のまま、人生を懸けて豊崎愛生さんへの感情を言葉にしようとしていた。
その真っすぐで力強い光は、今の私には無いものだと思った。
それでも、初めて出会った日に感じた言葉にならない気持ちを、言葉にしなくてはならないと思った衝動が、文章を書く道を選択させて、今の私を形作っている。
そして、形や強さは変わったとしても、変わらずに心の真ん中に居続けた豊崎愛生さんへの愛情が、29歳の私をこの日の中野サンプラザまで連れてきてくれたことも確かなのだと思った。
今の私は「豊崎愛生さんと出会えた人生で良かった」と、胸を張って断言できる今日を過ごしている。
ここまで歩き続けてきた自分に「当たり前」なんか一つも無くて、情けなくて、上手くいかなかったことや、失敗ばかりだったけど、最初の想いを捨てないでくれてありがとうと、20代の自分に対して強く思った2日間だった。
後ろを振り返ると、先の見えない砂漠を、迷いながら歩いてきた自分の足跡があった。
かつての自分は真っすぐに歩いてきたと思い込んでいたけど、足跡は色んな方向に蛇行していて、それでも、今日の自分まで続いていることは確かだった。
その足跡が、私が踏み出すこれからの一歩を、何よりも勇気づけてくれる。
そして、それが、誰かが歩くこの先の未来を、ほんの少しでも勇気づけるものであると願って、星を頼りに、私はこれからも砂漠を歩き続けていく。