16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

「俺はあの時から進化していると思うんだよね」

久々に大学の文芸部に遊びに行って、食べて、飲んで、帰りの電車を待ってる時に後輩にそう言ったら

「何を根拠にそんなこと言うんですかw」

と言われました…………。

その通りというか、彼にはそれを私に言う権利がある。

私が大学4年でもう半隠居状態の時の1年生なのだけど、聡明な男で現部長である。

彼は私のかつての作品を読んで「もっと読みたい」と言ってくれたのに私は「今度こそ書く」「次書かなかったらもう部室に入れないでいい」「来年こそは書く」「卒業までには……」「仕事が落ち着いたら…………」と引き伸ばした挙句、結局ここまで何も書かずに過ごしてしまったからだ。

「本当にまだお話が書けるんですか?」とも言われた。その通りだ。新入生として勉強会からやり直したい。

この日記は文章を書くためのリハビリ施設のようなものだ。

しかし私は私に甘すぎて、これではいつまでたっても前の状態にすら戻ることは出来ない。

会う人、会う人に「まだ諦めたつもりはない」「諦めたくない」と言っているのは本心だけど、さっさと行動に移せないから口にすることで何とか熱と形を保つ為の呪文のようなものでもある。

そして「何かをしているつもり」でありたいのが、この日記でもある。それは事実だろう。

俺はあの時から進化している。と思うけど、ブランクが長くなるにつれてそれを確かめるのが恐ろしくなっていき、ただただ楽な方へ逃げている気もする。

SHIROBAKOという作品を観ている(ちょー面白い)のですが

アニメ同好会5人それぞれが、大目標と個人としての目標に対して、別々の道を歩いていて

「アニメの近くで働いている」みゃーもりや絵麻に対して、オーディションに受けることすらままならないずかちゃんや、日々ホイールを作り続けるみーちゃん、業界に入る手がかりを掴めずにいるりーちゃんが、自分の境遇と照らし合わせて焦りを覚えたり。

対照的に「何がしたいのか」という目標がハッキリしないままにアニメ業界の最前線に足を踏み入れたみゃーもりが、ハッキリと目標を持って前に進んでいるみんなを羨望したりしている。

この気持ちが私は非常によく分かって、なんというかSHIROBAKOという作品そのものが、私にとっては焦りであったり、羨望であったり。そういった感情そのものみたいに感じる。だからこそ強烈なエネルギーを貰っている。

「私は進化していると思う」を彼に証明するためにも、まずは今の私の力がどれだけ衰えているかを実感せねばスタートラインにすら立てない。そしてそこからは、いい文章を書くための修業の旅に入ろう。今年度はその先で楽しい事がしたい。

というのがSHIROBAKOを13話まで観た感想です。流石に一日では観れません。