16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

ひかりのしずくを味方にして(寿美菜子 Zepp Live Tour 2018”emotion” の感想文)

叶えたい夢だって 決めたアドレスだって
人と違うだけで わたし自身じゃないね
タシカナモノはちょっと みつかりにくいようで
ah 走り出したい もどかしくて

もっとずっと 大きくなあれ
きっとぐっと カラを破って あざやかに

裸足のままの気持ち 止められないまま
ひかりのしずくを 味方にして 走ってく
不安ばかりの日々も 負けないよだって
その先のドアを 開きたくて
強いのにやさしい風 そんなふうに笑って

 

──『Shiny+』


『Shiny+』という曲を初めて聴いたのは、私が大学1年生の春なので、みなちゃんが18歳の頃だ。

ステージで初めて聴いたその日から「ひかりのしずくを味方にして走ってく」というフレーズが、彼女の姿にすごくピッタリな気がして、頭の中に残り続けた。

豊崎愛生さん以外で初めてソロのシングルを手にしたのは、この『Shiny+』だったのを強く覚えている。

その時点でみなちゃんに抱いていた感情は「同い年なのにめちゃくちゃすごい」というものであって、愛生さんに対するような、既に熱し切った憧憬ではなかった。

ただ、彼女の「ひかりのしずく」を一瞬たりとも見逃してはいけないという、息が止まるような切実さだけは、最初から強く感じていた。

そして、そこから音楽活動を追いかけ続けたのは「カラを破ってあざやかに」なる瞬間の美しさを信じていたからに他ならない。

 


***

 


それは、2ndアルバムの『Tick』で、もう十二分に達成されたように感じた。

私が見つめてきた寿美菜子の音楽というのは、常に『今』だから表現できる、今まさに表現したい感情を、全力で踏みしめて『自分』を形作っていくものだった。

歌われている言葉も感情もコロコロと変わっていくのだけど、その全てが『寿美菜子』の言葉であることに、説得力が足りなかったことなど一度たりともなかった。

1秒ごとに更新されていく『今』を走り抜けていく中で刻み付けたのが、進み続ける寿美菜子の時計そのものである『Tick』というアルバムだった。

 

未来は地平線で 考え事は宇宙で
だから同じところで フワフワできないね
ヒトリニナリタイけど 共感も捨てられない
Ah 突き抜けたいな 前だけ見て

きっとそっと 見守られてる
もっとぎゅっと 信じてみよう飛べるように

 

──『Shiny+』

 

何度何回繰り返して
生まれ変わったとしても
同じ道選ぶよ 私は私のままで

さあ壊してみたい こんなもんじゃない 昨日までのセオリー
ともに描いていこう かっこ悪くてもかまわないよ
今 走り出した 夢はいつも 二秒先の世界へ

 

──『FLY @WAY』

 
蛹から蝶へ。かつて待ち焦がれていた羽化は、ここで為されたのだと思った。

 

gkeisuke.hatenablog.com

 

それでも、寿美菜子は止まることはなかった。

それどころか、さらに速度は上がっていった。

3rdライブツアー『Tick Tick Tick』で、その姿を実際に目の当たりにした時、鳥肌が止まらなかった。

それは、かつて思い描いていた可能性のさらに上を見せつけられたからだ。

本当に美しいものを見た時、抱く感情には少し恐怖が混ざることを知った。

『Tick』を経た後は、シングルがリリースされる度に、豊崎愛生さんとはまた別の意味で、自分の中で覚悟が必要な存在になっていった。

 


***

 


『Tick』から3年4カ月の月日が流れて、3rdアルバム『emotion』がリリースされる。

このアルバムについて、何か言葉にしたい気持ちはずっとあったけれど、自分の中で納得のいく言葉は見つからなかった。

1つ言えるとすれば『Tick』が進み続ける時計そのものだとすれば、『emotion』は時計では視認できないくらい、刹那的な瞬間を刻み付けたアルバムであったように感じた。

だからこそ、言葉にすればするほどに、感情が先へ行って、言葉が零れてしまう。

感情に言葉が追い付かない。

1曲1曲に対する言及があったとしても、アルバムに対するそれを形作ることは出来なかった。

ただ、前作以上に、その感情の塊のようなものに圧倒される感覚があることは確かで、圧倒されているうちに、気付いたら1枚を聴き終えてしまっているような、瞬間の煌めきに満ちていた。

 

同い年だけど、背中も見えないくらい先にいたみなちゃんが、ついに別の宇宙に行き着いてしまった。

それでも、その美しさから目を離すことが出来ないのは変わらなかった。

むしろ、その想いは強くなっていって、仕事の都合上、一公演しか参加できなかった舞浜の360°ライブは豊崎愛生さんの公演ではなく、寿美菜子さんの公演を選択するほどになっていた。

 


***

 


そして、5月13日。

寿美菜子 Zepp Live Tour 2018”emotion”』Zepp DiverCity公演を迎える。

前置きが長くなったのは、実はここで語るべきことはそんなに無いからなのかもしれない。

ただただ「感じよう」と思った。

1曲目が始まった時点で、これまでずっと握ってきたサイリウムの重さがもどかしくなってしまって、ポケットの中にしまい込んだ。

そうしたら、ライブは本当に一瞬で終わってしまった。

腕時計を確認したら、ちゃんと2時間半が経過しているし、自分の身体に刻まれた疲労感が、何よりも雄弁に熱狂を物語っている。

そこに言葉は残らない。もしかしたら、記憶さえも鮮明には残らないのかもしれない。

だからこそ、揺さぶられた感情だけが、いつまでも胸の中で燃え続けている。

 

閃光のように駆け抜ける4週間。

「映像化はされない」と事前に明言して臨んだツアー。

そこに残った感情こそが『emotion』というアルバムに対する私の答えで、みなちゃんが形にするものの全てなのだろうと思う。

それは『瞬間』を捉えようとするシャッタースピードとしては、究極に近い表現だと思う。

ついに、今度こそ、みなちゃんは行き着くところまで辿り着いたのだと思った。

 

炎は消えかけて あぁ 灰になって飛ばされて
声枯れても叫ぼう

終わらない sound 全く濁らない
heat beat もっと激しく
1つ手に入れたなら 握りしめて進もう

true heart 見つけて emotion 震わせて
叩かれたって No 貫ける

Ah…So!!

溢れだす sound まだまだ届かない
heat beat もっと鳴らして
1つ手に入れたら握りしめて進もう

strong heart 少し耐えて emotion 抗って
指図されても No 撒き散らす

Ah 止められない…

 

──『Piece of emotion』

 

それでも、これからも寿美菜子は『自分』を誰よりも強く信じて、貫いて、声が枯れても灰になってもそこに在り続ける。

自分の作詞を手掛けた曲でそんなことを言われてしまったら、もう、かなわないなとしか思えなくなってしまう。

どんどん凄くなっていく。全く濁らない。敵わない。追いつけない。

だけど、かなわなくても、追いつけなくても、その姿を追いかけ続けていたい。

追いかける努力をしなくてはならない。

 

きっとこのツアー、来週はもっとすごいものになっているし、再来週はその倍以上にすごい。ファイナルは言わずもがな。

その上昇も含めて、一瞬たりとも見逃してはいけないことは分かっているだけに、次を観る機会がファイナルになってしまうのは歯がゆい気持ちで一杯だ。

せめて次に会える機会までに、少しでも寿美菜子さんの全力についていける自分になって臨もうと切に思う。

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『ここんぽいぽい恋愛脳』を読んで

 

4月1日のここたまオンリーで頒布され、取り置きしてもらっていた青井さんの同人誌を、本日受け取りました。既に住所氏名などの個人情報が筒抜けとなっており、有事の際には直接来訪することも可能となっている。

 

郵送で送って頂いた魂の籠った作品には、受け取った分、少しでもお返しできるようにブログで感想を書くのが私の中でしきたりとなっている。(後ほどお代と送料はお支払いします)

 

 

***

 

 

「ここんぽいぽい恋愛脳」というパンチが効きすぎたタイトルの当同人誌は『かみさまみならい ヒミツのここたま』というシリーズの二次創作小説誌。

 

取り置きをお願いしておいて何だけど、私はここたまシリーズにはほとんど触れてこなかった。豊崎愛生さんがメロリーちゃんを演じていること、全盛期はアイカツを食うレベルで女児からの人気を集めていたこと、はらひろさん、青井さんとお会いした時に聞く周辺情報などが私にとってのここたまの全てであった。ここたまハウスについての説明を聞いて「それは、つまり水曜どうでしょうで言うところの『粗大ゴミで家を作ろう』みたいなことですか?」と返していた。

 

が、青井さんも、それを十分承知の上で「早く読んで欲しい」と思って、ノータイムで私に送って下さったのだろう。それは、ちゃんと自分の中で「良いものが書けた」という自信が無ければ出来ないことだと感じる。

 

 

www.youtube.com

 

Creepy NutsというHIPHOPユニットの「みんなちがってみんないい」という曲がある。

 

UMBというMCバトル最高峰の大会で、前人未到の3連覇を達成したMC・R-指定のラップスキルと意地の悪さがふんだんに詰め込まれた1曲。

 

「みんなちがってみんないい」という金子みすゞの有名な一節をタイトルに引用しながら、その実はシーンで活躍する色んなラッパーのフロウを卓越したスキルでモノマネしきることで、自分がその他大勢とは格が違うことを知らしめる、痛烈な皮肉を孕んだ曲でもある。

 

誤解を恐れずに言えば、読んでいる最中に少しこの曲のことを思い出した。

 

実は小説という形で青井さんの文章を読むのは初めてだったけど、純粋に文章が上手い。そもそも、これは文章が上手くないと成立しない方法で書かれた小説でもあった。

 

あと、デザイン面がちゃんと内容にも起因してくるオシャレなもので、視覚で訴えられる部分全てを使って表現しようという気概を感じた。個人誌ならではの部分もあるけど、これは見習わなくてはいけない部分だとも思わされた。

 

何より素晴らしいと思ったのは、全編にわたって「やりたいことは全部やる」という強力なエネルギーに満ちているように思えたことだった。多分、だからこそ書いててめっちゃ楽しかったんだろうなというのが、読んでて分かる文章だった。

 

女性向けジャンルにおけるお約束のようなものであることも理解しつつ、最初の1ページには、カップリングやキャラ改変等々に対する注意書きがある。

 

私はあの注意書きの文化が長らく理解できなかったのだけど「今から自分が思っていることをブチかますから覚悟しとけよ」という最高にパンクな意味を持つものであることを理解した。

 

頭の中には表現したい世界があって、それを紡ぐための物語があって、伝えるための文章があって、それらが1冊の本の中に綴じられる。

 

例えば、商業用に書かれた作品のような、より大勢に読んでもらうことを目的とした文章であれば話は別だろう。だけど、これは同人誌だ。自分で決めた部数だけ刷って、思うままに表して、同時にその1冊が届いた誰かに何かを受け取ってもらえるように、持てる力を尽くして「表現」をする。

 

少なくとも、私にとってはこれが同人誌を製作する根源にある感情だったよなと、改めて思い起こされた。

 

文芸部で生まれて初めて書いた小説を発表した時、ふかふか団地で初めて同人誌を作った時、一番最初にあった感情や熱量に似たものを思い出させてもらった気がする。

 

 

物語的にも、事前に聞いていた感じから割とぶっ飛んだのが来ると思ったら、改めて振り返っても、ちゃんと女児向けアニメのドタバタ話の文脈をなぞっていて、その上に色んな愛の形をオムニバス的に乗せているのがとても見事だった。

 

思うところがあったとすれば、視線誘導が激しい小説なので、人称視点が誰にあるのかを把握するのに苦労する場面がややあったかも知れない(ただ、一人称ではあるべきだとも同時に思った)。私がここたまを知らないで読んだことが原因である。

 

ここたまの小説にぶん殴られるとは思っていなかったので、今度はちゃんとぶん殴られるつもりで向かいます。今後も機会があれば、是非読ませてください。