変わらないもの(豊崎愛生のMR04感想文)
2009年12月30日のことだった。
その日は、横浜アリーナで『TVアニメ けいおん! ライブイベント 〜Let's Go!〜』が開催された。
何か、ものすごいものを観たという気持ちがあった。年の瀬、大学受験を間近に控えているにも関わらず、胸の中で熱が渦巻いて、いつまでも離れず、だけど「すごい」とか「よかった」とか、ひたすら同じ言葉を並べるだけで、それ以上の言葉が出てこなかったのが、悔しくもあった。
2011年2月20日のことだった。
その日は、さいたまスーパーアリーナで『TVアニメ けいおん!! ライブイベント 〜Come with Me!!~』が開催された。
またしても、すごいものを観たという気持ちがあった。この先の人生で、この日、この瞬間を超える時間には、二度と出会えないのではないかと思えてしまうくらい。
私は少しずつ、なんとか色んな言葉たちを手繰り寄せて、感情と結びつけて、文章を書くことを続けていた。それは、ほんの数人の身内にしか見せていなかった文章だったけど、それを読んでくれた人たちが、私と一緒に色んなライブに行ってくれるようになったのが、とても嬉しくもあった。
2013年6月16日のことだった。
その日は、東京国際フォーラムAで『K-ON! HISTORY'S TALK』が開催された。
初めてのライブイベント当時、受験を控えていた私は、もう大学の最終年度を迎えていた。文芸部で過ごしたその4年間は、目の前で見てきた光景を言葉にすることと向き合う4年間だった。
全てはステージの上で平沢唯という女の子と初めて出会った、あの瞬間から繋がったものだった。
考えて、言葉にしていくことを続けるうちに、これまで以上に色んなことが見えてくるようになって、それは時に葛藤も生んだ。何を馬鹿な話をと思われるかもしれないけど、私は、豊崎愛生さんが好きなのか、平沢唯として笑う豊崎愛生さんが好きなのか、とても真剣に思い悩んでいた時期があった。
けいおんという作品に出会い、それがきっかけで豊崎愛生さんに出会ったことも間違いない。だけど、けいおんが完結を迎えた後に開かれたこのトークイベントで、平沢唯としてステージに立つ豊崎愛生さんに再び出会えた時、そこから積み上げてきたスフィアや豊崎愛生さんとの時間が、独立した感情として、自分の中でかけがえのないものになっていることに気付くことができた。きっかけを作ってくれた平沢唯という女の子と、そこに命を吹き込む、豊崎愛生さんに対する感情は不可分のものではあるけれど、それぞれ別のものとして考えるべきものでもあると、ようやく思い知ることになったのだ。
だからこそ、あえて言うのであれば、私にとっての初恋は平沢唯、その人であったのだろうとも認めなくてはいけなかった。
そして同時に、この日は、私にとってはけいおんという作品に、平沢唯という女の子への感情に、もう自分の中で区切りをつけるべきなのだとも感じていた。
私が書いた昔の日記から、この日の日笠陽子さんと、豊崎愛生さんの最後の挨拶を、それぞれ引用する。
「例えば皆さんが結婚して、子供が出来たとしたら『けいおん!』という作品を見せたいですよね?わたしは絶対に見せたいです! 名作は色褪せません。親から子へ、何年も何十年も語り継いでいけば、またどこかで皆さんとお会いできる機会もあるかもしれません。 いつまでも『けいおん!』という作品をずーっと愛し続けてください」
「会場に届いていたお花に添えられたお手紙に『いつか、同窓会のようにまた放課後ティータイムのメンバーに会えたらいいなって思います』という事が書かれていました。 今日みたいに、放映が終わっても、皆さんが唯ちゃんたちのことを好きでいてくれるなら、そうして同窓会のようにまたあえるんだと思います。またいつか平沢唯として皆さんの前に立てる日を、わたし自身心待ちにしています」
終わりにしようと思っていた感情は、約束に形を変えた。この日以来、これまでの時間を引きずるのをやめて、ちゃんと思い出に変え、懐かしむようにけいおんを観返して、唯ちゃんたちが過ごした日々を振り返りながら、ここまで生きてきた。
だから、私は、あの日から変わらず『豊崎愛生』が好きな人で、『スフィア』が好きな人で、『けいおん!』が、『平沢唯』が好きな人のままであった。
***
そして、2016年12月29日を迎える。
その日は、中野サンプラザで「豊崎愛生のMusicRainbow04」が開催された。
豊崎愛生さんは、今年の10月28日で30歳を迎えた。私も大学を卒業してもうすぐ3年が経とうとしている。学生時代とは同じようにはいかないことも増えたけど、豊崎愛生さんが、スフィアが、そして時折思い出すけいおんという作品と過ごした時間が、私の日常を占める大部分であったことは変わらないままに、この日、この会場にたどり着くことが出来た。
豊崎愛生のMusicRainbow04 セットリスト
01.ふわふわ時間
02.U&I
03.初恋の絵本
04.クローバー
05.FANTASY
06.マイカレー
07.変わらないもの(奥華子カヴァー)
08.true blue
09.walk on Believer♪
10.ただいま、おかえり
ずいぶん長い時間が経ったような気がする。だけど、唯ちゃんは、ちゃんと唯ちゃんのままだった。そして私たちも、けいおんを大好きな私たちのまま。それだけで十分だった。『ふわふわ時間』がコールされた瞬間に挙がった歓声に、時間という概念はすべて吹き飛んでしまう。
『ふわふわ時間』と『U&I』の2曲では、不思議とそんなに涙は出なかった。それよりも、心から嬉しい、楽しいという感情が勝っていたからなのだろう。私自身も、時間という概念を飛び越えて、いつかの自分に立ち返っているように思えた。
だからこそ、私が涙することになったのは、平沢唯として歌い終え、3曲目に披露された『初恋の絵本』の方だった。
HoneyWorksの『告白実行委員会~恋愛シリーズ~』の登場人物で、内気で引っ込み思案の合田美桜という女の子が歌ったこの曲。私自身もずっと聴きたかったけど、ここで初めて巡り合うことになったこの曲が、久しぶりに唯ちゃんとして歌う愛生さんの姿をみれたからか、歌詞の一つ一つが心の中に秘めていた色んな感情と結びついていく。
傍からみても、主観でみても、私の想いは、この曲で歌われているようなキレイな感情ではなかったと思う。いい年こいて、一人のアニメキャラクターがきっかけで、救われて、人生が変わって、24歳になった今でも、この観客席に立っているというだけの人間だ。
それでも、誰が何と言おうと、私が過ごした青春のど真ん中に、平沢唯という女の子は立ち続けていた。それがきっと、誰かを何かを本気で好きになるという始まりにある感情だった。『初恋の絵本』を聴けたことによって、その時間が勝手に報われた気がした。そうしたら急に、安心したように涙が止まらなくなってしまったのだ。
今はもう子供じゃないけれど
素敵な恋と思い出の本を閉じたら鍵をかけて
そして『初恋の絵本』を歌い終えた後は、間にMCを挟むことなく、豊崎愛生さん自身のソロの楽曲である『クローバー』へと続いていく。この楽曲への想いは、ちょうどこの日記の直前に描いた記事に記してある通り。私にとっての「あの日」と繋がっていく楽曲だった。
ずっと胸の中に大切にしまっていた、一つの約束が果たされた瞬間だった。だけど、平沢唯が好きと言う感情だけでは、ここに辿り着くことは出来ていなかったいなかったのだと思う。それを叶えてくれたのは豊崎愛生さんがここまで歌い続けてくれたことであり、豊崎愛生さんの音楽を好きでい続けた自分がいたからだ。
去年のMusicRainbowは仕事で来ることができなかった。今後もそういうことはあると思う。あの日から変わらず『豊崎愛生』が好きな人で、『スフィア』が好きな人で、『けいおん!』が、『平沢唯』が好きな人のままであったけど、大人になるにつれて、私自身を取り巻く環境は確かに変わっている。その中で、この日のステージへと私を連れてきてくれたのは、間違いなく豊崎愛生さんへの想いであった。
愛生さんはこの日のクローバーを「あの時、ちゃんと歌えなかったリベンジをしたかった」と言っていたけれど、 私がツアーの最終公演、同じ中野サンプラザで聴いた、あの日のクローバーを忘れることはないだろう。
けいおんの楽曲が久しぶりに披露されたことが単体でクローズアップされているが、私はこのステージはセットリストの隅から隅まで、抽選会まで含めて、歌手として声優として、豊崎愛生として、ステージの上に立ってきたこれまでとこれからが、全て詰まっているように思えた。
カヴァー曲の中では「私たちが声優というお仕事を始めた10年前、たくさんのアニメに触れようと、みんなで観にいった作品が『時をかける少女』でした」と話した後に、その主題歌である奥華子さんの『変わらないもの』が披露された。
変わらないもの 探していた
あの日の君を忘れはしない
時を越えてく思いがある
僕は今すぐ君に会いたい
この曲を聴いて、またたくさんの涙を流したのだけど、その想いは、もうここまで書いてきたことの繰り返しになってしまうので、割愛させてもらう。
中野梓を演じていた、竹達彩奈さんも、12月25日のソロライブであずにゃんのキャラクターソングである『じゃじゃ馬 Way To Go』を披露していた。そして同時に、その日の竹達さんは『変わらないもの』をカヴァーしていたという。
愛生さんの後には、寿美菜子のMusicRainbow04も控えていた。多くの人がムギちゃんとして歌うみなちゃんの姿に期待を持っていたけれど、そこで、けいおんの楽曲が歌われることがなかった。みなちゃんは、直接ムギちゃんとは口にしなかったけど「わかるよ。私も愛生ちゃんの公演を観ていたから」と示唆しながら「みんなで相談して歌う曲を決めている訳じゃないから」と断っていた。そして「次は絶対に歌うよ!」と、約束をしてくれた。
けいおん楽曲のカヴァー解禁自体は、おそらく権利関係の問題が解消されるタイミングだったのだろう。ただ、同じ事務所のみなちゃんにも相談をしていないのであれば、愛生さんも竹達さんも『変わらないもの』をセットリストに含めたのは、お互い相談をして決めたことではなかったのだと思う。偶然かもしれないけど、その偶然がちゃんと重なった瞬間だったのだろう。
そして、曲間にMCを挟むことなく『true blue』を歌った。
この曲が収録された2ndアルバム『Love letters』は、ちょうど今の職場に就職が決まった直後に発売された。その時は、採用された喜びばかりが前面に出ていたけど、この『true blue』を初めて聴いた後に「もしかすると、これからは今までみたいに愛生さんに会いに行けなくなってしまうのかもしれない」ということに、決定的に気づかされた。これまで、色んな感情にぴったりと寄り添ってくれた愛生さんの楽曲たち。だからこそその事実が何よりも強く沁みこんできて、恐ろしくなって、涙が止まらなくて、しばらく私の中で聴けない曲になっていった。
大人になるのが怖い。幸福な今を失うことが怖い。いわば、私にとっては「変わっていくこと」を何よりも現した楽曲で、この曲と向き合うための2ndコンサートツアーだったといっても過言ではない。
実際に色んなことが変わった。これまで当たり前のように最優先の予定として組み込んでいたライブも、いけないことが増えてしまったし、その代わりではないけど、行けるイベントは全て行けるように努力をするようになった。愛生さんに会いたいという想いだけは変わらなかったからだ。
私にとっては、このセットリストの中で、2曲続けて「変わらないこと」と「変わっていくこと」を、両方歌ってくれたことに意味があったのだと思う。
「日常を歌う」というのは、ポジティブなことも、ネガティヴなことも、日々で覚える感情全てに向き合ってきたからこそ、成り立っているものなのだと感じる。これまで、嬉しいことも、苦しいことも、楽しいことも、寂しいことも、愛生さんは全てそのままに歌に乗せてきて、だからこそ、私はどんな時でも、愛生さんの楽曲に想いを重ねて、ここまで来たのだろう。
そして愛生さんは、最後のMCで「私も今年で30歳を迎えて、40歳までの10年間、何を目標にしようかと考えていました」と切り出し、これからのことを話してくれた。
「生きていれば人は変わっていくもので、きっと好きなこととか、人が変わっていくこともあるのだと思います。それは全然悪いことじゃないし、ずっと私が一番じゃなくてもいいんだと思います。それでも、久しぶりに私のライブに来てくれた人が『豊崎さん全然変わってないな』って、たまに思い出してもらえるような、帰ってきたら安心できる場所になれればいいなという、小さいような、大きいような目標があります」
目まぐるしく変わっていく時間の中で、私にとっては灯台のように、ずっと変わらない帰ってくる場所で在り続けてくれていたのが、毎週木曜日の『豊崎愛生のおかえりラジオ』。そして、2016年最後に歌ったのは、そのおかえりラジオをイメージして作られた『ただいま、おかえり』だった。
だから、この日は私にとって、変わらなかった想いも、変わってしまった現在も、両方報われたように感じたのだ。
***
自分自身にとって、2016年は自分の身の振り方を含めて、色んなことを本気で悩んでいた1年でもあった。それでも、豊崎愛生さんと会える機会はたくさんあって、そこでまた新しく、特別な時間を積み上げていくことが出来た。
そうして積み上げてきた時間が、私にとっては何より大切なもので、そして当たり前のように「これから」に想いを馳せられることが、何よりも尊いことなのだと、思い知った1年でもあった。
かつて私が『Come with Me!!』で、これを超えるステージに出会えるだろうかと感じたのは『Utauyo!!MIRACLE』のステージだった。
大好き 大好き 大好きをありがとう
歌うよ 歌うよ 心こめて今日も歌うよ
大好き 大好き 大好きをありがとう
歌うよ 歌うよ 愛をこめてずっと歌うよ
ステージの上で歌うみんなだけではなく、私たちも、もう『放課後ティータイム』としてのライブをそうたくさん観れる訳ではないことを分かっていた。だからこの曲の、このフレーズを歌うことに「けいおん!」という作品と過ごしてきた時間に対して、会場全体が奇跡のように一つになった。
私にとって、この「大好き」と「ありがとう」を伝える手段が文章になればいいなと思ったのが、このステージを観た、その瞬間からだった。
最近、誰かと話していると、私の言ってることとか書いていることは、もう何年も前から、そう大きく変わっていないのだなと思わされる。会うたびにその感情を身をもって確認する。その繰り返しになっているのかもしれない。
昔と比べて、少しはマシなものを書けるようになっただろうか。今でも誰かに胸を張って読んでもらえるようなクオリティではないと感じることも多い。けど、尽くせるだけの言葉を尽くしていきたい。という想いを新たにした。
それは、初めて恋をしたあの女の子にまた会える日までに、少しでもカッコいい自分でありたいという、私なりの勝手な意地でもあるのだろう。