16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

letter writer(豊崎愛生さん34歳のお誕生日に寄せた個人的なブログ)

先日、豊崎愛生さんと生電話をさせて頂いた際の動画データが、私のスマートフォン上から消えていることに気がついた。

 

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そもそも有料チケットを購入した人限定の配信で、アーカイブ視聴も1週間だけだったので、外部に流すつもりがないとはいえ、勝手に録画して取っておくこと自体、お行儀のいい行為とは言えなかったのですが……。


私としては、11年来の願いが叶った瞬間ではあったので、なにかとても落ち込むことがあったり、自分を見失いそうになった時のために、懐に忍ばせていたのだ。

 

これで「私と豊崎愛生さんが生電話でお話した」という事象は、記憶の中には残り続けるけど、記録としては永久に失われてしまい、11年間お話しできずにいた結果、私と私の周りの皆さんが集団幻覚を観たという線を否定することが出来なくなってしまった。



***

 

 

ほどなくして「あなたのためのスフィアの激励ボイスカード」の企画が発表される。

 

sphere.m-rayn.jp
ボイスカードになるということは、採用されれば、私という個人に向けてスフィアの4人が激励してくれた言葉が永久に形として残り続けるというものだ。


発表された当初、私はこのボイスメッセージを棺桶に入れてもらうつもりで、これから先の人生全てを内包するような激励の言葉を考えようとしていた。


例えば「受験頑張って下さい」だとか「大会頑張って下さい」という内容では、目標となる事象が終わったら、そのボイスメッセージの効力が解けてしまう気がした。


そういうものではなく、形に残り続けるのであれば「人生頑張ってください」とか、そういう恒久的な願いであるべきなのではないかと思ったのだ。

 

究極的に言えば「人生のテーマ」のようなものを込めた50文字を考えていたのだけど、豊崎愛生さんとの生電話をした時のことを、ふと思い出す。


11年間、心の真ん中に居続けてくれて、先が見えない自分の道を照らしてくれたあの人と話す日がくるのならば、自分も隣に並び立つに相応しいだけの人間になっていなくてはいけないと思っていた。


そして、彼女に並び立つために『言葉』を武器に選んで生きていくと決めたのであれば、その愛を表現するのは、常に私が用意できる一番美しい言葉でなくてはいけないと思っていた。


現実に、私が一番大好きな女性と初めて直接電話で交わした言葉は「部屋が片付かない」というあまりに何でもない話だったのだ。


でも、11年かけて「それでいいじゃん」ともようやく思えた。

 

それは、11年かけて、弱くて情けない今の自分をようやく少しだけ認められた瞬間だったようにも思う。

 

 

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これまでは、何も叶えられていない自分が認められなくて、過去の自分に申しわけが立たなくて、かつて夢見た景色のわずかな燃え残りを燃料にして走り続けていた。

 

今の私が、スフィアの4人に激励してもらうに相応しい言葉は「受験」「大会」のように、永遠に続くものではなかったとしても、今の弱い自分を認めた上で、この先の人生を走るための「明確な目標」の中にあるような気がした。

 

しかし、改めて『本当の願い』を探し始めると、これまで、私がいかに「人生」とか大きな言葉に逃げて、自分だけの願いの形と向き合わずに生きてきたのかが浮き彫りになった。

 

受験や大会に人生を尽くしたことはなかった。

 

何かの資格を取るつもりもないし、本気ではない願いをでっちあげても仕方がない。

 

そうしてここまで生きてきた今の私は、彼女たちに何を応援してもらいたいのかが分からなかった。

 

豊崎愛生さんとお話する」という夢が叶ってしまって、夢の先に、何を見ればいいのだろうか。

 

並び立ったとは到底思わないけれど、この先は、もう豊崎愛生さんやスフィアのことを「走るための理由」そのものにしてはいけないような気がした。

 

私の心には、彼女たちがくれた永遠に消えない想いがある。

 

ずっと一番大好きだという信頼があって、この先も大好きで居続けさせてくれる場所を、彼女たちは守り続けてくれると誓ってくれたのだ。

 

だからこそ、その想いを胸に、私は私の人生を歩みだした先でしか、彼女たちに与えてもらったものを返すことは出来ないような気がしたのだ。

 

背中を押してもらうための言葉を探すというのは、そういうことなんじゃないかと思ったのだ。

 

 

***

 


正確に言えば、かつて一つだけ目指していた大会があって、それがライトノベルの新人賞」だったなと思う。

 


でも、今の私の願いがそこにあるかというと、ハッキリと「無い」と言える。

 

そもそも、エントリーさえできなかった自分を認められなかったことが、これまで豊崎愛生さんと話せなかった理由のほとんど全てだった。

 

今は、私の人生や生活を少しずつ肯定できるようになってきて、それを放棄してまで、その夢を目指す情熱は失われているのだということを自覚した。


それでも、どれだけ荒唐無稽な夢だったとしても、並び立つことを目指して「書くこと」を続けた先に、少しずつ認めらるようになった今の人生がある。


私は今でも「書くこと」を手離してはいなくて、それが自分の武器になって、仕事になって、かけがえのない友人たちと出会えた。

 

夢が叶わなかったとしても、歩いてきた道のりに何の意味も無かったのだとは思わなくて、あの日から続いていく今の人生そのものだった。


ならば、何者にもなれなかったとしても、私は、豊崎愛生さんにもらった「書くこと」を手放さずに、この先の人生を生きて行こうと思った。

 

その決意を、書くための理由とエネルギーそのものだった、スフィアの4人に誓うことで、背中を押してもらおうと思った。


だから、激励ボイスメッセージには


「ケイスケさん、小説を書くこと頑張って下さい」


という言葉で応募した。

 

さっきも書いた通り、新人賞に応募する気はないので、かつてと目的は違う。

 

それでも願いは変わらなくて、私は、この先も、私が見てきた景色のことを、私が救われた瞬間のことを『書くこと』で刻み付け続けたいと思った。

 

受かったとしても受からなかっとしても、彼女たちに誓いを立てるために応募したかったのだ。

 

 

***

 

 

そして、これからは豊崎愛生さんに、ちゃんと手紙を書こうと思った。

 

おかえりらじおには毎週メールを送っているけれど、手紙を書いたのは、大学4年生の頃、7年前のお誕生日に書いた一度きりだった。


その内容は、あなたにどれだけ救われたのか、あなたがどれだけ心の支えだったのか、そういう人生を生きた先で、就職まで至ったことを報告するものだったと思う。


当時も、どれだけたくさんの言葉を尽くせるか、どれだけ相応しい言葉を導き出せるのかというのに、深く思い悩んだ気がする。

 

でも、今は、言葉そのものよりも「伝えよう」とする意志の方が大事なのだと思った。

 

生電話の動画が消えたと分かっても、実は、あまりショックは受けなかった。

 

それは、話した内容そのものに価値があるのではなくて、11年掛かって、ようやく言葉を交わそうと思い至った意志に、応えてくれた事実そのものに意味があると感じていたからなのだと思う。

 

私がその時間のことを覚えてさえいれば、動画が消えても失われるものは何もない。

 

きっと、伝える言葉は少しだけで良くて、この先は、その少しの言葉に想いを込めて、積み重ねていくことをしていこうと思った。

 

だから、ただ、大好きなあの人に「生まれてきてくれてありがとう」ということを伝えるために、お手紙を書こうと思う。


このブログは、私が書きたいから書いただけの文章なので、豊崎愛生さんに対する「お誕生日おめでとう」の言葉は、手紙の中に留めておこうと思う。

 

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2016年10月28日に書いたブログを置いておきます。

 

gkeisuke.hatenablog.com