16FLIPS gkeisuke’s diary

16小節の長い話

『ここんぽいぽい恋愛脳』を読んで

 

4月1日のここたまオンリーで頒布され、取り置きしてもらっていた青井さんの同人誌を、本日受け取りました。既に住所氏名などの個人情報が筒抜けとなっており、有事の際には直接来訪することも可能となっている。

 

郵送で送って頂いた魂の籠った作品には、受け取った分、少しでもお返しできるようにブログで感想を書くのが私の中でしきたりとなっている。(後ほどお代と送料はお支払いします)

 

 

***

 

 

「ここんぽいぽい恋愛脳」というパンチが効きすぎたタイトルの当同人誌は『かみさまみならい ヒミツのここたま』というシリーズの二次創作小説誌。

 

取り置きをお願いしておいて何だけど、私はここたまシリーズにはほとんど触れてこなかった。豊崎愛生さんがメロリーちゃんを演じていること、全盛期はアイカツを食うレベルで女児からの人気を集めていたこと、はらひろさん、青井さんとお会いした時に聞く周辺情報などが私にとってのここたまの全てであった。ここたまハウスについての説明を聞いて「それは、つまり水曜どうでしょうで言うところの『粗大ゴミで家を作ろう』みたいなことですか?」と返していた。

 

が、青井さんも、それを十分承知の上で「早く読んで欲しい」と思って、ノータイムで私に送って下さったのだろう。それは、ちゃんと自分の中で「良いものが書けた」という自信が無ければ出来ないことだと感じる。

 

 

www.youtube.com

 

Creepy NutsというHIPHOPユニットの「みんなちがってみんないい」という曲がある。

 

UMBというMCバトル最高峰の大会で、前人未到の3連覇を達成したMC・R-指定のラップスキルと意地の悪さがふんだんに詰め込まれた1曲。

 

「みんなちがってみんないい」という金子みすゞの有名な一節をタイトルに引用しながら、その実はシーンで活躍する色んなラッパーのフロウを卓越したスキルでモノマネしきることで、自分がその他大勢とは格が違うことを知らしめる、痛烈な皮肉を孕んだ曲でもある。

 

誤解を恐れずに言えば、読んでいる最中に少しこの曲のことを思い出した。

 

実は小説という形で青井さんの文章を読むのは初めてだったけど、純粋に文章が上手い。そもそも、これは文章が上手くないと成立しない方法で書かれた小説でもあった。

 

あと、デザイン面がちゃんと内容にも起因してくるオシャレなもので、視覚で訴えられる部分全てを使って表現しようという気概を感じた。個人誌ならではの部分もあるけど、これは見習わなくてはいけない部分だとも思わされた。

 

何より素晴らしいと思ったのは、全編にわたって「やりたいことは全部やる」という強力なエネルギーに満ちているように思えたことだった。多分、だからこそ書いててめっちゃ楽しかったんだろうなというのが、読んでて分かる文章だった。

 

女性向けジャンルにおけるお約束のようなものであることも理解しつつ、最初の1ページには、カップリングやキャラ改変等々に対する注意書きがある。

 

私はあの注意書きの文化が長らく理解できなかったのだけど「今から自分が思っていることをブチかますから覚悟しとけよ」という最高にパンクな意味を持つものであることを理解した。

 

頭の中には表現したい世界があって、それを紡ぐための物語があって、伝えるための文章があって、それらが1冊の本の中に綴じられる。

 

例えば、商業用に書かれた作品のような、より大勢に読んでもらうことを目的とした文章であれば話は別だろう。だけど、これは同人誌だ。自分で決めた部数だけ刷って、思うままに表して、同時にその1冊が届いた誰かに何かを受け取ってもらえるように、持てる力を尽くして「表現」をする。

 

少なくとも、私にとってはこれが同人誌を製作する根源にある感情だったよなと、改めて思い起こされた。

 

文芸部で生まれて初めて書いた小説を発表した時、ふかふか団地で初めて同人誌を作った時、一番最初にあった感情や熱量に似たものを思い出させてもらった気がする。

 

 

物語的にも、事前に聞いていた感じから割とぶっ飛んだのが来ると思ったら、改めて振り返っても、ちゃんと女児向けアニメのドタバタ話の文脈をなぞっていて、その上に色んな愛の形をオムニバス的に乗せているのがとても見事だった。

 

思うところがあったとすれば、視線誘導が激しい小説なので、人称視点が誰にあるのかを把握するのに苦労する場面がややあったかも知れない(ただ、一人称ではあるべきだとも同時に思った)。私がここたまを知らないで読んだことが原因である。

 

ここたまの小説にぶん殴られるとは思っていなかったので、今度はちゃんとぶん殴られるつもりで向かいます。今後も機会があれば、是非読ませてください。

ただいまといってきますの物語(プリパラシリーズ完結に寄せて)

思い返してみると、プリパラというアニメは「ただいま」と「いってきます」を繰り返す物語であったように思う

 

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眠ってしまったファルルを目覚めさせるためにライブを実施する1stシーズン第37話は、そらみスマイル、ドレッシングパフェの6人が朝の眠りから目覚める姿から始まる。

 

それは、後に訪れるファルルの目覚めに対応していると同時に、プリパラの外にはそれぞれの日常があって、無事に帰ってこなくてはならない場所があることも意味している。6人の中から、主人公である真中らぁらが代表して「いってきます」を告げて、物語の幕が開く。

 

プリズムボイスの奇跡で目覚めたファルルに、北条そふぃが掛けた声が「おかえりなさい」であった。おはようではなく、おかえり。プリパラという場所に戻ってきたことに対する言葉だった。

 

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2ndシーズンの87話でプリパラのシステムが暴走し、主人公のらぁら以外のアイドルが記憶を失ってしまった中、らぁらが必死にみれぃの記憶を呼び覚ました時も、らぁらはみれいに「おかえり」と声をかけ、みれぃも「ただいま」と答えた。

 

88話でプリパラシステムの歪に吸収されそうだったひびき、ふわり、あじみ先生を救った後、観客席からは「おかえり」という声がかけられ、あじみ先生が「ただいま」と返した。

 

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3rdシーズン第139話は、ルール違反を犯してシステムに飲み込まれそうになったジュリイとジャニスを、神アイドルになったそらみスマイルのステージで、再びプリパラに引き戻した。

 

 

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そして、4thシーズンに充たるアイドルタイムプリパラの第50話は、時間を止めて凍ってしまったパックと、その中で眠る真中らぁらが、プリパラに戻ってくる物語。

 

同時に、49話は長い旅路の果てに神に匹敵するだけの熱い心を持ってドレッシングパフェが帰ってくる物語で、かつて自分たちのアイドルの輝きを見出し、ずっと信じて待っていたマネージャーのウサギに3人は「ただいま」と告げた。

 

また51話では、パラ宿のプリパラを追放されたガァルマゲドンが、パパラ宿で幸多みちるの夢を導いて、パラ宿のアイドルたち総出で「ただいま」と迎え入れられた。

 

 

重要なのは「パラ宿に戻りたい」と願い、パラ宿でライブをするために姿を隠してまでクイズ大会に出場していたガァルマゲドンの3人を除いて、上記で挙げたのは、いずれも各年度における"最終回直前"のエピソードであったことだと思っている。

 

どこかに行ってしまった誰かが、プリパラという場所そのものの言い換えでもある、主人公・真中らぁらの”みんなが笑っていてほしい”という強い想いで「プリパラに戻ってくる」ことが物語の帰結にはならない。

 

戻ってきた後の最終回は、これまでも必ず旅立ちの物語であった。

 

1stシーズンの最終回でファルルはユニコンと共にプリパリへと旅に出て、2ndシーズンの最終回には紫京院ひびきがこれに続く。3rdシーズンの最終回では神アイドルとなったそらみスマイルはプリパラを広めるために、あと一歩のところで届かなかったドレッシングパフェのシオンはドロシーとレオナといつまでもユニットを続けるために、それぞれ旅に出る。

 

そして、アイドルタイムプリパラは、らぁらがパパラ宿から新たな街のプリパラへ旅立つのを始め、それぞれのアイドルが、プリパラで過ごした時間の中で得た夢や理想に向けて、新しい日常を歩みだす姿で幕を閉じた。

 

***

 

誰でもなりたい自分の姿になれるプリパラという場所は『夢』そのものだった。

 

だから、真中らぁらや、アイドルタイムプリパラの主人公である夢川ゆいが強い気持ちで救ってきたのは、いつも夢を見ることを忘れてしまった誰かや、夢を見ることが出来なくなってしまいそうな誰かだった。

 

そして彼女たちは、いつだってステージの上でその衝動を呼び起こしてくれる。

 

きっとそういう人のことを"アイドル"と呼ぶのではないだろうか。

 

 


i☆Ris / Memorial-Music Video-(Short Ver.)

 

いつもの"おはよう"でさえ

あたりまえじゃなくて

ステキな奇跡だったんだね

 

プリパラシリーズのラストを飾るオープニングテーマ『Memorial』はこんな歌い出しから始まる。

 

作品最初のOPにして、プリパラの世界観を決定づけるに至った『make it!』では「夢はもう夢じゃない誰だって叶えられる」と歌った。

 

続く1stシーズン後半のOPは、実現という意味を持つ『Realize』というタイトルで「キラキラしている自分を掴もう 大好きな事しよう」「つかみ取ろうプリパラ」と”自ら掴みとること”を歌う。

 

アイドルタイムプリパラには、ファララとガァララという、それぞれ昼と夜を司る時の妖精が登場する。

 

人は眠っている間に夢をみて、起きている間に夢を叶えていく。夜が明けて、また新しい朝が来る。そんなあたりまえの営みの中で夢を見て、それを実現するため、前に進み続ける。

 

プリパラがなりたい自分の姿を実現する場所だったのは、そこに留まり続けるためではない。未来の可能性を示すためだ。いつか自分が理想に追いつけるよう、なりたい自分になれるように、日々を前向きに過ごすためなのだと思う。

 

だからこそ、プリパラは最後まで一貫して「ただいま」と「いってきます」の物語で在り続けたのだろう。

 

たくさんの愛しい時間と、明日を生きるためのワクワクとしたエネルギーをもらった、大好きで大切な作品です。